2009-03-11
チベット問題の入り口

チベット動乱、10日で50年

チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世の海外亡命のきっかけとなったチベット動乱から10日で50周年を迎えた。写真は中国四川省甘孜チベット族自治州丹巴県中心部で買い物をするチベット族の人たち(8日)

中国チベット自治区は25日、チベット暦の正月を迎えた。中国当局は同日、メディアを通じ、同自治区や各省のチベット族居住地域で盛大に新年を祝う様子を盛んにアピールした。
 チベット族の間では、チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世の亡命に至ったチベット動乱から50年を迎える3月10日を前に、動乱弾圧の犠牲者を悼み、新年を祝う行事を自粛する動きが広まっていた。こうした空気に対する中国当局の警戒は強い。

中国にとってチベット問題は国内問題であるとしたい。
チベットが独立なんてことになれば、55ある他の少数民族が何を言い出すかわからないし、少数民族が居住している区域が分離すれば中国から広大な地域が失われ、あっというまに中国は混乱状態に陥ってしまう。
中国が混乱すれば一衣帯水で隣接する日本にとっては、政治的・経済的にもデメリットが大きいため、日本の新聞社はあまりチベット問題をとりあげたがらない。
 しかしそれとは別の問題として、中国がチベット問題を語るときに用いる一連の論理について、一言言いたいことがある。
中国は「チベットは歴史的にいって中国の不可分の一部である」と、こと有るごとに主張する。
それを無責任にたれながす日本のマスコミも少なくはない。
しかし、このテーゼは「歴史的にいって」まったく偽なのである。
チベットが現在のように「中国の一部」となったのは、1950年の中国軍の占領に始まり、1959年のダライラマ14世のインド亡命に終わる、一連の事件の結末である。それ以前のチベットは、中国とは全くことなった言語・歴史・文化・社会を有する独立体であった。
 7世紀に統一王朝として姿を現した古代チベット王朝は、時の中国王朝唐と対等にわたりあう強力な軍事国家であった。


822年に唐とチベットの両方の都に建立された碑文に「チベット、中国の両者は現在支配する領域を守って、東方すべては大中国の地に、西方すべてはまさに大チベットの地にして、これより後は互いに敵対し諍うことなく、領域を侵犯することなく、・・・チベットはチベット国において安らかに、中国は中国において安らかになさん。」とあるように、両国は当時明らかに別の政体に属していたのである (当たり前だけど)。
それでは、中国は何をもって歴史的にチベットを不可分の一部であると主張するのであろうか。中国の主張によれば、中国は元朝と清朝の二時期にわたってチベットを「直接支配」してきたという。そこでまず、この二つの時代の中国とチベットとの関係を、中国当局の見解にも、チベット亡命政権の見解にも偏ることなく、最新の歴史学の成果をふまえて検討してみよう。


 1260年、チンギス=ハーンの孫であるフビライ=ハンは、中国に元王朝をたて、その都を大都(現在の北京)に定めた。チベット仏教の一派サキャ派の座主であったパクパ(1235-1280)は、このフビライ=ハンに国師として推戴され、フビライが大都で行う王権儀礼を演出した。
 最新の研究によると、フビライは自国の軍隊に降伏した国々、たとえば、高麗(現朝鮮半島) や安南 (ベトナム) に対して、駅伝の設置、元朝の宮廷に王族の子弟を人質としてさしだすこと、人口調査、軍事協力、納税などの義務を一律に課していた。
実際、元朝はチベットに対して人口調査を行い、駅伝を設置している。サキャ派の座主を帝師として元朝の宮廷にとどめたことが「王族の子弟を人質にさしだした」ことにあたるとすればすべての項目は満たされ、たしかに、元朝はチベットを属国として遇していたということにもなろう。
しかし、フビライ=ハンが死んでテムル=ハンが即位すると、元朝はチベット統治に関心を示さなくなり、一方、元朝の王族のチベット仏教に対する強い信仰は相変わらず持続し続けた。


つまり、それ以後の元・チベット関係は、政治的主従関係よりも、純粋に宗教的な師弟関係に移行していったのである。
元朝一代を通じ、元朝の王族はチベット仏教に心酔し、寺を建て、大蔵経を開版し、囚人を釈放したため、これらの一連の行為は元朝滅亡の一因ともいわれている。
つまり、元朝のチベット支配は、行われたとしても非常に短期間であり、それも宗教的尊崇という外衣をまとったきわめて穏やかなものであったのである。
1959年の3月チベットの首都のラサで「改革解放」の名のもと「民族浄化」が開始、 殺戮・破壊・強奪・強姦が行われた。
15万人の僧侶と尼僧は公開虐殺によって1400人に減らされた。
 僧侶に対しては、滑車を使い仏像の重みによる絞首刑や、尼僧に対し警棒の形をした 5万ボルトのスタンガンを性器に入れて感電死させ彼女の死体は裸のまま路上に捨てられた。
一般民衆の犠牲者は120万人におよぶ。中国は「強制断種(チベット男性の生殖機能を手術に よって奪う事)」や「強制交種(チベット女性を中国男性と交わらせ民族の血統を絶つ事)」等の民族浄化に力を入れた。


古来より現在に至る迄、軍事覇権国家「中国の野望」は止まる処を知らない。

10日、インド北部ダラムサラで、記念式典に臨むダライ・ラマ14世

チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世は10日、チベット動乱50周年に当たり、亡命政府のある当地で声明を出し、中国からの独立ではなく自治の拡大を目指す「中道路線」について、「より大きな確信をもって継続する」と述べ、同路線を堅持する方針を表明した。
 世界各地の亡命チベット人は昨年11月にダラムサラで開いた特別会議で、今後の運動方針として中道路線の継続を支持する勧告をまとめていた。ダライ・ラマ自身がこれを受けて同路線の堅持を明言したのは初めて。
 ダライ・ラマは中道路線の下、すべてのチベット人のための「意義のある自治」の実現に向け、努力を続ける考えを強調した。ただ、「中国当局はわれわれの誠実な努力に適切に対応せず、私は失望している」として、中国の対応を批判。同路線の前提となる中国との対話再開の見通しは示さなかった。
 対話は昨年3月のラサ暴動後、3度行われたが11月を最後に事実上決裂した。
 ダライ・ラマは「われわれはチベットの闘争が長きにわたることも覚悟しなければならない」と述べ、集まった約3000人の亡命チベット人らに忍耐を呼び掛けた。(時事通信)