2009-05-15
74年前の今日、5・15事件が起きた。

沖縄本土復帰記念日   皮肉にも この日 5.15事件記念日
1972年(昭和47年)のこの日、戦後27年間アメリカの統治下にあった沖縄が日本に返還され、沖縄県としてスタートしたのを記念した日。


5.15事件

五・一五事件

1932年(昭和7年)5月15日に起きた大日本帝国海軍急進派の青年将校を中心とする反乱事件。武装した海軍の青年将校たちが首相官邸に乱入し、当時の護憲運動の旗頭ともいえる犬養毅首相を暗殺した。この事件により日本の政党政治は衰退したといわれる。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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当時は1929年(昭和4年)の世界恐慌に端を発した大不況、企業倒産が相次ぎ、社会不安が増していた。1931年(昭和6年)には石原莞爾率いる関東軍の一部が満州事変を引き起こしたが、政府はこれを収拾できず、かえって引きずられる形であった。犬養政権は金輸出再禁止などの不況対策を行うことを公約に1932年(昭和7年)2月の総選挙で大勝をおさめたが、一方で満州事変を黙認し、陸軍との関係も悪くなかった。
しかし、1930年(昭和5年)ロンドン海軍軍縮条約を締結した前総理若槻禮次郎に対し不満を持っていた海軍将校は、若槻襲撃の機会を狙っていた。ところが、立憲民政党(民政党)は大敗、若槻内閣は退陣を余儀なくされた。これで事なきを得たかに思われたがそうではなかった。計画の中心人物であった藤井斉が「後を頼む」と遺言を残して中国で戦死し、この遺言を知った仲間が事件を起こすことになるのである。本来ならば標的でなかった犬養が殺されることになったといえる。

犬養毅 いぬかい・つよし


犬養は護憲派の重鎮で軍縮を支持しており、これも海軍の青年将校の気に入らない点であったと思われる。不況以前、大正デモクラシーに代表される民主主義機運の盛り上がりによって、知識階級やマルクス主義者などの革新派はあからさまに軍縮支持・軍隊批判をしており、それが一般市民にも波及して、軍服姿で電車に乗ると罵声を浴びるなど、当時の軍人は肩身の狭い思いをしていたといわれる。
犬養は中国の要人と深い親交があり、とりわけ孫文とは親友であった。ゆえに犬養は満州侵略に反対であり、日本は中国から手を引くべきだとの持論をかねてよりもっていた。これが大陸進出を急ぐ帝国陸軍の一派と、それにつらなる大陸利権を狙う新興財閥に邪魔となったのである。犬養が殺されたのは、彼が日本の海外版図拡大に反対だったことがその理由なのである]。
本事件は、二・二六事件と並んで軍人によるクーデター・テロ事件として扱われるが、犯人のうち軍人は軍服を着用して事件に臨んだものの、二・二六事件と違って武器は民間から調達され、また将校達も部下の兵士を動員しているわけではないので、その性格は大きく異なる。同じ軍人が起こした事件でも、二・二六事件は実際に体制転換・権力奪取を狙って軍事力を違法に使用したクーデターとしての色彩が強く、これに対して本事件は暗殺テロの色彩が強い。
また犬養首相の暗殺が有名な事件であるが、首相官邸・立憲政友会(政友会)本部・警視庁とともに、牧野伸顕内大臣も襲撃対象とされた。しかし「君側の奸」の筆頭格であり、事前の計画でも犬養に続く第二の標的と見做されていた牧野邸への襲撃はなぜか中途半端なものに終わっている。松本清張は計画の指導者の一人だった大川周明と牧野の接点を指摘し、大川を通じて政界人、特に森恪などが裏で糸を引いていたのでは、と推測している(『昭和史発掘』)。だが、中谷武世は古賀から「五・一五事件の一切の計画や日時の決定は自分達海軍青年将校同志の間で自主的に決定したものであって、大川からは金銭や拳銃の供与は受けたが、行動計画や決行日時の決定には何等の命令も示唆も受けたことはない」と大川の指導性を否定する証言を得ており、また中谷は大川と政党人との関係が希薄であったことを指摘し、森と大川に関わりはなかった、と記述している(『昭和動乱期の回想』)。
本事件は昭和天皇の勅令により失敗に終わった、とするのが定説である。この事件によりこの後斎藤実、岡田啓介という軍人内閣が成立し、加藤高明内閣以来続いた政党内閣の慣例(憲政の常道)を破る端緒となった。もっとも実態は両内閣共に民政党寄りの内閣であり、なお代議士の入閣も多かった。民政党内閣に不満を持った将校らが政友会の総裁を暗殺した結果、民政党寄りの内閣が誕生するという皮肉な結果になった。また、犬養の死が満州国承認問題に影響を与えたという指摘もある。
なお、事件前日の5月14日には映画俳優のチャールズ・チャップリンが来日していて、チャップリンも標的となったが、直前になって犬養との会談をキャンセルしたため、難を逃れた。

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チャールズ・スペンサー・チャップリン・ジュニア(Charles Spencer Chaplin, Jr.、1889年4月16日 - 1977年12月25日)は、イギリスの映画俳優、映画監督、コメディアン、脚本家、映画プロデューサーである。映画の黎明期に数々の作品を作り上げ、「喜劇王」の異名をもつ。愛称は“チャーリー”。各種メディアを通じ、現在においても彼の姿や作品にふれることは容易である。


チャップリンは、ヒットラーを皮肉った「独裁者」を監督・主演している。
また、バスター・キートンやハロルド・ロイドと並び、「世界の三大喜劇王」と呼ばれる。独裁者アドルフ・ヒトラーを皮肉った映画『独裁者』で有名だが、そのモデルとなったヒトラーと誕生年月が同じ1889年4月である(チャップリンの方が4日早い)。


時々、宣伝カーで流す『ワルキューレの騎行』の作者のヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー(Wilhelm Richard Wagner, 1813年5月22日 - 1883年2月13日)は、歌劇の作で知られる19世紀のドイツの作曲家であり、また理論家、文筆家としても知られる。ロマン派歌劇の頂点として『歌劇王』の別名で知られる。

リヒャルト・ワーグナー

反ヒットラーの反骨の作曲家として著名である。
注記: 呼称については、一般的にはワーグナー、ワグナーと書かれることが圧倒的に多いが、専門書などではドイツ語読みに倣ってヴァーグナー、ヴァグナーとも表記される。また、古くは語尾の-erを母音化させない古典的なドイツ語読みでワグネル、ヴァーグネルとも表記された(例:慶應義塾ワグネル・ソサィエティー)。

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