2009-06-09
なにを今更、胡錦涛の安っぽい官製倫理

<体制維持と道徳>
今年の3月あたりから胡錦涛主席は「八栄八辱」なる道徳キャンペーンを始めた。
◇祖国を熱愛することは誉、祖国を危うくすることは恥
◇人民に奉仕することは誉、人民を裏切ることは恥
◇科学を尊重することは誉、愚昧で無知なのは恥
◇勤勉に労働することは誉、安逸に流れ怠惰なのは恥
◇団結して互助することは誉、人を踏みにじって私利私欲に走ることは恥
◇誠実で信用を守ることは誉、利に目が眩んで道義を忘れることは恥
◇法律を遵守することは誉、法律を無視することは恥
◇刻苦奮闘することは誉、贅沢と淫乱に流れることは恥
まあ、この当たり前すぎる内容に表だって反対できる者などいないとは思うが、だからといって今さら胡錦涛の安っぽい官製倫理を熱心に学ぼうとする者はいないだろう。
このような安直な道徳スローガンを胡錦涛自身が大々的にキャンペーンしなけれいけないこと自体に中国社会の倫理的混乱がよく分かる。
いかなる国家もその根底に一定の道徳なり倫理体系なりが無ければ健全な社会維持できない。
道徳が無ければ人間はケダモノであり、倫理無き規範無き社会は弱肉強食の世を現出させる。
中国は文化大革命において古来からの伝統倫理を徹底的に排撃した。
特に儒教は中国の社会倫理のみならず、為政者としての倫理道徳そのものでありこれの根絶は必然的に体制の腐敗を促進する。
シンガポールのリー・クアン・ユーは、その自叙伝の中で  中国の汚職や腐敗の源は、 文革時代に起きた正常な道徳的基準の破壊である。
と指摘している。 人治の国である中国にとって犯罪や汚職に厳罰でのぞむ法制度の整備は急務ではあるが、どんなに緻密に作られた法制度も内的な規範である道徳が真空状態では機能しない。
中国が国際的地位を高めるためには、経済、外交だけでなく、中国語の普及が欠かせない。
中国政府は中国語を英語に匹敵する、国際言語にする目標を打ち出している。
このプロジェクト名を「漢語橋(中国語国際啓蒙)プロジェクト」と言い、海外での孔子学院の設立や中国語の海外普及を打ち出し、これを外交戦略とリンクさせる。
中国政府内の「国家対外漢語教学指導小組弁公室」という部署がこのプロジェクトを担当している。

中国:黄砂と砂漠化・・北京まであと70キロ?

南シナ海を舞台にした中国とASEANの確執。
島や環礁の小岩に建造物を建てて、着々と既成事実を作って領土と領海を拡大する中国。
米国のパワーがこの海域から撤退した虚を狙い、押し込み強盗の如く、覇権拡大に狂奔する。
これに対してASEAN諸国も抵抗するがいかんせん中国の強引さと軍事的パワーにジリジリと押されていった。
しかし、この紛争劇も2001〜2002年を境に次第に終息を始め、中国はASEANに対し、海底資源の共同開発を呼びかけ、一転、融和路線をとり始める。
南シナ海の紛争に関する、80年代から今に至るまでのニュースを検索した。
結果は興味深いもので、80年代・90年代には紛争・摩擦を伝えるニュースが圧倒的だったがこれが2000年代に入ると急に融和のニュースが増え始める。
海底資源の共同開発、中国海軍のベトナム寄港、国境画定交渉で中国がベトナムに大幅譲歩、ASEANと中国のFTA交渉の活発化、等々等。
以下、2000年以降の関連ニュースを羅列してみる。
◎2000年1月:フィリピンが米軍との合同軍事演習を四年ぶりに再開。
       陸海空軍による演習は、クラーク旧米軍基地などルソン島を中心に行われ、       計約五千人の将兵が参加。
◎2001年4月:アメリカ海軍の電子偵察機EP−3が西沙諸島近辺で中国軍機に衝突されて、海南島に緊急着陸。
両国の間で外交問題に発展。
◎2001年8月:米第7艦隊、南シナ海で大規模演習。
◎2001年11月:中国海軍のフリゲート艦がベトナム初寄港。
        四日間の友好訪問。中越融和の幕開け。
◎2004年5月:ベトナム、南沙諸島「チュオンサロン島」に飛行場建設
◎2004年9月:フィリピンのアロヨ大統領が中国に南沙諸島海域での共同油田探査を提案
◎2004年9月:西沙諸島にて中国が観光ツアーを始める。
◎2004年10月:中国の温家宝首相がベトナム訪問し、南沙諸島での海底資源共同開発を提案。 ベトナムはこれを拒否。
◎2005年3月:中国・ベトナム・フィリピンの石油会社三社が
    南シナ海での石油資源共同探査で合意。
◎2005年7月:台湾、東沙諸島に埠頭建設開始。
    100トン級も接岸可能にし、南シナ海の警備を強化。
◎2005年11月:胡錦濤国家主席がベトナムを訪問。
    中越両国は陸上国境の画定に関し、
    2008年までに全線で国境標識設置を終了させ、新たな国境管理文書に調印。
        ベトナム側の主張に対して中国の大幅譲歩。



こうやって2000年以降の出来事を俯瞰して眺めて見るとあの摩擦のオンパレードと全く様変わりしていることに驚く。
その境は2001年。
おそらく、この年あたりを基点として中国の対南シナ海戦略が強奪路線から融和路線へと転換したのではないか?
何故、2001年?いろいろ推理が渦巻くが
戦略転換の因子として3つが上げられると思う。
 1、ブッシュ政権の登場と9・11事件
 2、ASEAN諸国の硬化
 3、東アジア共同体構想
以下、説明します。

<ブッシュ政権の登場と9・11事件>

クリントン政権時、米国は中国を「戦略的パートナー」と位置づけていた。
これがブッシュ政権になると「戦略的競争者」へと変化する。
つまり味方から敵対者へと変わったわけである。
この変化はブッシュ政権の、そもそもの対中警戒感と、政権発足半年後におきた「米偵察機墜落事件」の衝撃が大きい。
2001年4月、南シナ海西沙諸島付近を偵察していた米軍の偵察機が中国戦闘機と接触し、機体が損傷。
中国領海南島に不時着し、米中間の外交問題となった。
この時、中国は海南島への無許可着陸の謝罪と、偵察行為の謝罪、賠償金の支払い、今後の偵察行為を中止すること、などを米国に求め、米国は不時着への謝罪には同意したものの、他の案件は全て拒否し、互いに非難の応酬となった。
米国としては公海上での偵察行為を謝罪させられる筋合いは無く、そもそも中国戦闘機が米偵察機に異常接近したことが接触・損傷の原因であるとして、中国の要求を拒んだ。
特に米国にとって心外だったのは中国が米偵察機搭乗員24名を実質上、人質状態にしたことである。
搭乗員を返してほしければ「謝罪+賠償金」が必要との言い分に米国は激怒した。
結果的に、米中関係の悪化をちらつかせた米国に中国が強硬論を引っ込めた形となったが、これがブッシュ政権の対中警戒感をいっそう煽る結果となった。
米国はその後、南シナ海の領土紛争において従来の中立路線を改めて、ASEAN側に肩入れする方向にシフトしていく。
同年8月、米国は南シナ海において第七艦隊による大規模演習を実施。
空母「カールビンソン」「コンステレーション」、駆逐艦三隻、巡洋艦二隻、原子力潜水艦三隻など十四艦船と百五十機の軍用機も投入され、約一万五千人が動員された。
米空海軍の兵力がこれほど集結したのは、1996年の西太平洋での演習以来とされ、米国の中国に対する無言の意志表示であった。
さらに、その一ヵ月後に、あの「9・11事件」が勃発。
米国は対外強硬路線を強めていく。
もともと、中国の南シナ海への拡張路線は米軍のベトナム撤退とフィリピン撤退、さらにソ連が崩壊し、その海軍がベトナムのカムラン湾から撤退したこと、この軍事力の空白に助けられていた。
しかし、米国は南シナ海に再び帰ってきたパワーの間隙に乗じた中国の拡大路線にストップがかかりはじめる。

<ASEAN諸国の硬化>

90年代にASEAN諸国で飛び交った言葉が
「南シナ海のチベット化」。
将来、チベットのように南シナ海が中国の手中におちるだろう、というわけである。
この中国の拡張路線に対抗し、ASEAN諸国は軍事力を拡大し始める。
90年代には、マレーシア・インドネシア・シンガポールなどが、露・英・米国それぞれの最新鋭戦闘機を購入。
各国が軒並み毎年2ケタ台の伸び率で軍事費を拡大していった。
この動きは97年のアジア金融危機によって鈍ったが、経済同盟であるASEANが軍事連合の方向へとシフトしていく。
もともとASEAN諸国は対中強硬派のベトナムを筆頭として南シナ海の領土紛争において中国に対して毅然とした姿勢を示してきた。
どこかの国の外務省の如く、媚びへつらいはしなかった。
このASEANの硬化によって中国の拡張路線は鈍り始めていく。

<中国の戦略転換と東アジア共同体構想>
経済成長が著しい中国は地域大国の座を越えて世界覇権を構想し始める。
彼らから見て、取って代わるべきは米国の単独覇権であり、一党独裁の政体を持つ中国には自由と民主主義の国であり、その理念の輸出を国家的使命とする米国とは所詮は相容れぬ国同士との発想があるだろう。
世界覇権への道。
彼らにとり、これに至るまでの戦略構想としては、東アジアのリーダーとなり、米国と対峙する」これが骨格となる。
その過程として、
 1,東アジア諸国を米国から離反させること
 2,日本を従属させ、東アジアのリーダーシップを握ること
 3,韓国とASEANの取り込み
この3つがある。
この戦略の道具として発案されたのが例の「東アジア共同体」構想である。
この共同体構想に対する日本や他の諸国に思惑はともかく、
中国自身はこの構想を、自らの世界覇権への一里塚と考えているだろう。
東アジア共同体構想なるものが国際的に登場したのは2001年11月のASEAN拡大首脳会議からである。
拡大首脳会議は「ASEANプラス3」と呼ばれ、ASEANと日中韓の十三ヶ国で構成される。
この会議上、日本・中国・韓国側から将来の東アジア共同体の必要性を強調する報告書が初めて提出された。


以後の中国の戦略はまさに上記の3要素、
 1,東アジア諸国を米国から離反させること
 2,日本を従属させ、東アジアのリーダーシップを握ること
 3,韓国とASEANの取り込み
これに忠実に行っているのが分かる。
日本に対しては強硬路線。
要するに「東アジアのリーダーの座」の争奪である。
歴史問題と過去への贖罪意識を梃子にして日本を心理的に従属化させようとしている。
逆に、ASEANに対しては融和路線。
FTAと資源の共同開発によって取り込む。
特にASEAN内の対中強硬派であるベトナムにはことのほか神経を使っており、2005年の両国による国境確定交渉では中国はベトナムに大幅に譲歩している。
この大きな戦略転換の流れの中で南シナ海における中国の拡張路線は鳴りを潜め始め、替わって、東シナ海での覇権拡大にエネルギーを注いでいる。

さてさて、以上ざっと3回に分けて東シナ海での中国の資源強奪、さらに南シナ海の事例、2001年を基点にして中国が拡張路線からその戦略を転換していること。
そして、その累が東シナ海での行動に波及していること、これを書いてきました。
これを見て思うのはこの国の「力に対する信奉」、そして「力を行使する際の果断さ」です。
軍事力を行使する際には何のためらいもありません。
日本を含めた西側諸国のように倫理的なひるみのようなものが全くありません。
利害判断で、やるべきと見ればスパッと軍事力を行使します。
また、力関係に敏感ですね。
国際情勢を見渡して押せそうならば押すし、無理だとみればあっさりと引っ込める。
ここらへんは見事なぐらいに首尾一貫しています。
この教訓に立って東シナ海の問題を考えるならば、日本としての結論はハッキリとしています。

事務的な話し合いを継続?


 「力によって対峙する」「一歩も引かない」
これのみです。
この単純な愚直さこそが国益を守る最強の武器となると思います。