2009-07-21
「中国に死を」

イランのラフサンジャニ元大統領が17日導師を務めた金曜礼拝後、会場となったテヘラン大学周辺で、改革派ムサビ元首相を支持する1万人以上の若者らがデモを行った。警官隊や民兵バシジが大量に動員され、催涙弾を発射するなどして解散させた。
 これだけの規模のデモが起きたのは、1999年のテヘラン大学学生弾圧事件10年に合わせてデモが行われた9日以来。
 目撃者が時事通信に語ったところによると、ムサビ氏の選挙キャンペーンカラーだった緑色の布を身に着けた参加者は「ロシアに死を。中国に死を。独裁者に死を」とのスローガンを叫んだ。ロシアはアハマディネジャド大統領を支持したために、中国は新疆ウイグル自治区ウルムチでのデモ弾圧のためにスローガンにされたとみられる。( 時事通信)

イランの歴史 近代

1796〜1925 ┌トルコ系シーア派
●カジャール朝・・カジャール族(サファビー朝のシャーイスマーイエルの軍事力の中核
           をなしたキジルバーシをつくる7つのトルコ部族のひとつ)      
  └トルコ族のひとつ(オスマントルコがスルタン カリフの権力をもっている)
シャー(王)は専制君主・・貴族会議も国民会議もなし
     権力を制限するのは法ではない
(1)●アガームハンマドハーン・・5才の時敵に捕えられて去勢された 
                            →残酷 無慈悲な性格
妹をカリムハーンが妻とした
1794 ザンド朝のロトフアリハーンを倒して滅ぼす
1796 正式に王位につく→1797暗殺された テヘランを首都とする
(2)フォトアリーシャー 1797〜 ゴレスター宮殿を作る
1812 25 ロシア→イランに侵入パクーを奪う→1825 タブリースを占領
1828●トルコマンチャイ条約・・現在の国境線に後退 賠償金
                 ロシアに治外法権 最恵国待遇
      イランは国威を失墜・・ロシアの軍事的優勢が確立
                         アルメニアも失う
     1832〜57 ヘラートを攻撃
(3)ムハンマドシャー 1834 1850ころバーハーイ教できる
(4)●ナーセルッディンシャー 1848〜96 暗殺される イランの栄光の最後の担い手
1856 3度目のヘラート攻撃占領
するとイギリスはペルシャ湾から上陸ヘラートをあけわたし、治外法権を奪う         └1857パリ条約・・イギリスはヘラート州を切り取る ↓

●帝国主義の時代へ←イギリスとロシアの圧力
                ・・・・・1900までに15か国が治外法権を手に入れた
 軍事的経済的侵略を受ける
  ロシアとイギリスの圧力を受ける・・すべての権益を手に入れた
                    植民地化だけは回避された
1879 ロシアはコサック旅団編成の許可を得る・・ロシア公使館が指導権
1901石油採掘権・・・オーストラリアから→イギリスに許与
      →1912 アングロイラニアン石油会社へ→アバダン精油所は世界一になる
      ↓ 1905ロシア第一革命の影響
1906反体制運動→血を流さない ┌議会制度ができる・・・156名の国会
1906●イラン立憲革命・制限選挙による国民議会の開設が承認された
                                   →1911閉鎖
・ 憲法も出来たが 政治的自由・言論と行動の自由
外国支配にも立ち上がった
英露の反撃→1907英露協商ができる
               ・・イランの北部はロシア 南はイギリスが押える
(6)1907ムハンマドアリーシャー・・・もっともひどい専制君主絶対王政の復活を目指す
1908議会の解散と憲法の破棄を宣言
〈7)1909ソルタンアハマド・・カジャール朝最後の王・・議会民主制復活
第1次大戦後 イギリスが占領
イランの国名は1935・・・『アーリア民族の土地』の意味 波斯
『ペルシャ』はファールス地方のファールスからファールス語ではファルシイ
1921 アリーレザー・・コサック旅団の大佐だった→コサック兵団2,500でクーデター

1926パーレビ王朝成立 テヘランへ
初代●レザー シャー パハラヴィーが・・・1925即位〜41 1925共和国宣言
     1926国王となる←石油の欲しいイギリスの後押し
 1878生まれ 15才で孤児 1923 首相であることを宣言・・憲法無視して                (レザーハーン) 1936チャドル禁止
  (パーレビィー1世) 1937アフガニスタン トルコ イラク不可侵条約
再び独裁的君主と王朝の誕生・・・王政こそイランのイランたる所以
                         ←アケメネス朝の伝統
  イスラム化以前のペルシャのササン朝の文化を復活を目指す
2代●ムハンマド レザー パハラビー(パフレビー2世) 1941〜79
                         ・・1979追放 アメリカに亡命
1945 3 対日宣戦布告
1951●モサデク首相が石油国有化法をさだめた
             →イギリス系のアングロ イラニアン石油会社を接収した
  国営イラン石油公社を設立
1953国王の独裁体制が完成・・・親米軍部のクーデターによる
54国際石油会社と石油協定を結びアメリカとの関係を強化
1968●白色革命・・・・・国民投票で可決 脱イスラム化の上からの近代化
エンガラーベ セフィード 6大改革法
(1)農地改革法     (4)企業利潤分配法
(2)森林国有化法    (5)選挙法改革法
(3)国営工場払下げ法 (6)教育兵団法
1978シーア派イスラム教徒が革命を起こす
1979ホメイニを最高指導者とするイラン共和国誕生・・イラン革命 男女共学廃止
11 アメリカ大使館占拠
1980 イラクが革命をおそれてイランに進攻・・イランイラク戦争
〜88 └サダムフセイン大統領
1980.4 アメリカと断交
1983 イスラム応報刑法
1989.3 ラシディ『悪魔の詩』事件 イギリスと断交

イラン大統領選で敗北した改革派元候補、ムサビ元首相は4日夜、ウェブサイトを通じ、再選したアハマディネジャド大統領が選挙戦で政府機関の権限を乱用したなどと選挙の公正さに疑問を呈する報告書を公表した。AFP通信が伝えた。
 報告書は、同大統領が支持獲得のために現金を支給するなど現職の立場を悪用したと批判。また、選挙実施主体の内務省や監督権限を持つ護憲評議会の一部幹部が公然とアハマディネジャド大統領支持を表明したと指摘した。
 さらに、約4620万人の有権者数を1400万枚も上回る数の投票用紙をなぜ印刷したのかとただし、大掛かりな不正の存在をにおわせた。

衆院は21日午後1時からの本会議で解散された。

今日、解散