2009-08-14
明日は“敗戦”記念日

 「憲法論争」は内閣法制局長官をながく務めた林修三氏と江藤淳氏、色川武大氏、そして憲法学者の小林直樹氏をゲストに迎えたかなりむかしの討論会。ただ、ここでの議論が30年経った今でもそのまま通用してしまうのはいかがなものかと。つまり、今の憲法改正にかんする議論の論点は、もうそのくらい前に完成していた、ということ、これは気をつけておく必要があろう。つまり、論点自体は出そろっていたけれども、日本人は全体としては「改正」という選択肢を選ばなかった、ということだ。それが賢明な選択であったのか、そうでなかったのかをまず検討すべきではないだろうか。

写真:1945年9月3日 戦艦「ミズーリ」Missouri(BB-63)艦上のマッカーサー司令官とサザーランド中将が参謀総長梅津美治郎大将の降伏調印を見守る。:梅津美治郎(うめづよしじろう、1882年1月4日 - 1949年1月8日)は,二・二六事件後に陸軍次官として陸軍内を粛正した。また,ノモンハン事件後、関東軍総司令官に就任し,関東軍の粛正にも関わった。終戦時の御前会議では本土決戦を主張し,降伏調印式への出席も最後まで拒んでいた。


以下引用


 中国・南京の「南京大虐殺記念館」で8月15日の終戦記念日から、日本の漫画家が自らの戦争体験を描いた漫画を展示する「私の八月十五日展」が開かれる。

 日本では2000年から各地で開催されているが、中国では初めてとなる。
 同展は、戦後、中国から引き揚げてきた漫画家の森田拳次さんらが「戦争の残酷さ、恐ろしさ」を伝えようと呼び掛け、ちばてつやさん、さいとう・たかをさん、松本零士さんら仲間の漫画家や作家など120人以上が賛同して始まった。
 旧満州の工場で、敗戦の玉音放送に泣き崩れる大人たちを見た記憶を描いた、ちばさんの「地獄の旅へ」など、終戦時の生活や体験などを主題とした漫画が、作者らの手紙を付けた「絵手紙」の形で展示されている。
 中国での開催は、日中の有識者がつくる「新日中友好21世紀委員会」で委員を務めた作家の石川好さんが記念館側と協議して実現した。同記念館で日本側の戦争体験がテーマのイベントを実施するのも初めてだ。


 同記念館は、犠牲者数などを巡って日中の歴史研究家らの間で論争が続く「南京事件」に関する展示を行っており、2007年には事件から70年を機に大幅拡張された。旧日本軍の残虐さを強調する展示内容に対し、日本政府が見直しを求めたこともある。
 石川さんは「漫画の力で、日本人の戦争体験を中国の人たちに理解してもらう機会になれば」と語る。3か月間の開催期間中に石川さん、森田さん、ちばさんらも訪中し、現地で記者会見する予定だ。
 今回の試みは、日本の政府関係者の間でも「日本人にも悲惨な戦争体験があったことが中国の国民に伝わることで、未来志向の日中関係を目指す議論のきっかけになるかもしれない」と注目されている。(読売新聞)

終戦記念日の15日、北京五輪の女子サッカー準々決勝で日本と中国が対戦した。

 約3万の客席の9割以上は中国人。中国当局は厳戒で臨んだが、一部が日本人観客の持っていた日の丸の小旗を投げ捨て、暴言を吐くなどトラブルも起きた。
 国歌演奏では、先に君が代が流れ、どよめきが起きたが、ほとんど起立したまま演奏を聞いた。瀋陽から来たという王慶民さん(30)は「日中は友達だ。起立するのは当然のこと」と笑った。
 中国人観客が平静だったのはここまで。試合が始まり、日本選手にボールが渡るとブーイングが起きた。日本が先制すると、さらに過熱。横浜市の男性会社員(28)は、日の丸の小旗を中国人の男に奪われ、投げ捨てられた。小競り合いとなり、警察官が仲裁に入った。男性らに向かって「小日本(日本のべっ称)を倒せ」と叫び、ボランティアに制止される男もいた。
 外交筋によると、日本側は五輪開幕の半年以上前から、中国側に日の丸や君が代にブーイングしないことを強く要請。この日の会場には、拳銃を携帯した制服姿の警察官が巡回し、公安関係者約500人以上が観客席に陣取り、観客の動きを警戒していた。(2008年8月16日)

結果として日本が日本としてブレない姿勢を打ち出さなければ斯様な問題の解決は断じて無い事だけは、真実であろう。 某国では相変わらず戦勝パレードとかやってるんですかね.
慮ってばかりの解決は在り得ない事をはっきりと物語っている。
自虐に満ちた解決など御英霊は望まれない。ましてや未来に生きる子供たちが望む筈も無い。 其れを望むのは反日に凝り固まった亡国の輩だけである。
自分で満足した振りなど もう止めよう 将来、尚、残って行くであろう東アジアに更に大きな地球という国家群で生き延びて行くであろう日本人に今、示せる 責任はキチンと果たしておこう。