2009-08-17
「愛国的観光」?という名の占領支配

 北方領土の国後島で拡張工事が進むメンデレーエフ空港が早ければ来年にも使用可能になることが明らかになった。国後島を実効支配するロシア側が今月、同島を訪れたビザなし交流訪問団(村田政孝団長)に空港を公開。ロシア内では最近、島を観光特区にして地域振興を図る主張が出ており、空港がロシアの「愛国的観光」の玄関口になるおそれも出ている。

拡張工事が進むメンデレーエフ空港=9日、国後島

 「空港や港など、主に交通インフラの整備が島で進んでいる。巨額の事業だが、島の経済発展に寄与するはずだ」

 国後島を実質的に管轄する南クリール地区行政府のゲンナジー・ドブルーシン行政長(51)は、「クリール諸島社会経済発展計画」に基づき、社会基盤整備が進んでいることを強調した。同計画は、2007年から15年までに総額179億ルーブル(約555億円)を投じ、北方四島を含む島々の総合発展を図ろうというもの。プーチン前大統領時代に策定された。

夕暮れに浮かび上がる国後島の最高峰、爺爺(ちゃちゃ)岳(標高1822メートル)。北方領土周辺には豊かな海が広がっている=7月9日、国後水道

 空港では待合室などの建物の新設や滑走路の強化工事、新管制システムの導入などが進められている。また、古釜布(ふるかまっぷ)の港で、大型船が寄港できる水深の深い埠頭(ふとう)の建設を行っている。いずれも早ければ、来年中にも使用開始予定だという。

 完成すると、航空機や大型船による人・モノの大量輸送が可能となるプロジェクト。島に多くのロシア人観光客を呼び込むことで、島の実効支配を強化しようという意図がうかがえる。

 実際、ロシアのセルゲイ・ミロノフ上院議長(56)が11日、国後島を訪問し、海岸にロシア国旗を立て、「南クリール諸島(日本の北方領土)を観光特区にすべきだ」などと主張。今回、訪問団が訪れた学校の前には「サハリン(樺太)とクリール諸島(千島列島と北方四島)はロシアの領土だ」と書かれたロシアの極右政党、自由民主党の看板が掲げられていた。

知床峠から望む国後島(2008年6月27日撮影)。雲海から国後島の山が頭を出している。

 国後島在住のロシア人男性(49)は「(同党の)ジリノフスキー党首はクリール地区にレジャー施設、温泉を造れと主張している。われわれの精神的支えだ」と話すなど、「愛国的観光」を支持する声も聞かれた。(産経新聞)

北方領土問題(ほっぽうりょうどもんだい)とは、一般的に北海道根室半島の沖合にある島々で現在ロシア連邦が実効支配している、択捉島(えとろふとう)、国後島(くなしりとう)、色丹島(しこたんとう)、歯舞群島(はぼまいぐんとう)に対して、日本が返還を求めている領土問題。これらの島は、北方地域、北方四島と呼ばれている。
これらの主張の根幹となる事例に以前 樺太千島交換条約を廃棄し
北方四島のみを北方領土とし領土交渉の根幹に据えた弱腰外交にある。
敗戦国であっても主張すべき権利は堂々と主張すべきであった。

「ロシア固有の領土クリールへようこそ。われわれの島で勝手な行動は許さない

「ロシア固有の領土クリールへようこそ」
 8日、択捉島を管轄する露サハリン州クリール地区のラズミシキン地区長は、こう言ってビザなし交流団を“歓迎”した。その5日前に、北方領土を「日本固有の領土」と明記した北方領土解決促進特別措置法(北特措法)の改正案が、参院で可決されたことへの抗議の意思表示でもある。そして、“歓迎”の言葉は「日本側がこの一方的で誤った議決を取り消さない限り、次のビザなし訪問団は受け入れない」という警告となっていった。
 それにとどまらない。地区長は、島に滞在中は勝手な行動を慎むよう注意し、前回訪問した交流団が、許可なく建立した墓標を持ち帰るよう求めた。「日本語で書かれた墓標を島に置くことは許さない」というのがその理由だ。従わないのであれば「実力を行使する」とまで言う。その墓標はすでに引き抜かれ、行政府の建物の入り口に立てかけられていた。

基本とすべきは下記条約である。

■樺太・千島交換条約
明治8年・1875年〜
明治8年(1875)に締結された「樺太・千島交換条約」で、
日本は樺太の権利を一切放棄するかわりに、それまでロシア領だった
ウルップ島から北の18島を日本が得ることになりました。

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樺太千島交換条約
1875年5月7日 「セント・ピータースブルグ」ニ於テ署名
1875年8月22日 東京ニ於テ批准書交換

    第二款
 全露西亜国皇帝陛下ハ第一款ニ記セル樺太島(即薩哈嗹島)ノ権理ヲ受シ代トシテ其後胤ニ至ル迄現今所領「クリル」群島即チ第一「シュムシュ」島第二「アライド」島第三「パラムシル」島第四「マカンルシ」島第五「ヲネコタン」島第六「ハリムコタン」島第七「ヱカルマ」島第八「シャスコタン」島第九「ムシル」島第十「ライコケ」島第十一「マツア」島第十二「ラスツア」島第十三「スレドネワ」及「ウシシル」島第十四「ケトイ」島第十五「シムシル」島第十六「ブロトン」島第十七「チェルポイ」並ニ「ブラット、チェルポヱフ」島第十八「ウルップ」島共計十八島ノ権理及び君主ニ属スル一切ノ権理ヲ大日本国皇帝陛下ニ譲り而今而後「クリル」全島ハ日本帝国ニ属シ柬察加地方「ラパッカ」岬ト「シュムシュ」島ノ間ナル海峡ヲ以テ両国ノ境界トス
(以下略)
明治8年5月7日即1875年4月25日/5月7日 比特堡府ニ於テ

榎本武揚 (印)
ゴルチャコフ (印
)

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 大日本国皇帝陛下ト
 全露西亜国皇帝陛下ハ今般樺太島(即薩哈嗹島)是迄両国雑領ノ地タルニ由リテ屡次其ノ間ニ起レル紛議ノ根ヲ断チ現下両国間ニ存スル交誼ヲ堅牢ナラシメンカ為メ
 大日本国皇帝陛下ハ樺太島(即薩哈嗹島)上ニ存スル領地ノ権理
 全露西亜国皇帝陛下ハ「クリル」群島上ニ存スル領地ノ権利ヲ互ニ相交換スルノ約ヲ結ント欲シ
 大日本国皇帝陛下ハ海軍中将兼在露京特命全権公使従四位榎本武揚ニ其全権ヲ任シ
 全露西亜国皇帝陛下ハ太政大臣金剛石装飾露帝照像金剛石装飾露国「シント、アンドレアス」褒牌「シント、ウラジミル」一等褒牌「アレキサンドル、ネフスキー」褒牌白鷲褒牌「シント、アンナ」一等褒牌及「シント、スタニスラス」一等褒牌仏蘭西国「レジウン、ド、オノール」大十字褒牌西班牙国金膜大十字褒牌澳太利国「シント、エチーネ」大十字褒牌金剛石装飾露生国黒鷲褒牌及其他諸国ノ諸褒牌ヲ帯ル公爵「アレキサンドル・ゴルチャコフ」ニ其全権ヲ任ゼリ
 右各全権ノ者左ノ条款ヲ協議シテ相決定ス
    第一款
 大日本国皇帝陛下ハ其ノ後胤ニ至ル迄現今樺太島(即薩哈嗹島)ノ一部ヲ所領スルノ権理及君主ニ属スル一切ノ権理ヲ全露西亜国皇帝陛下ニ譲リ而今而後樺太全島ハ悉ク露西亜帝国ニ属シ「ラペルーズ」海峡ヲ以テ両国ノ境界トス

サンフランシスコ平和条約においての第2条では、単に「千島列島」となっていて、その定義ははっきりとされていません。
しかし、日本は、この条約で放棄した千島列島(クリスアイランズ)とは、「日露通好条約」および「樺太・千島交換条約」で定義されるように、ウルップ島以北の島々を示していると考えています。
ましてや択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島は歴史的にみても、一度も他の国の領土になったことがないのです。
さらに日本人以外の人々が定住したことのない地域であることから、北方四島は、千島列島とは明確に区別して、「北方四島」と呼び、わが国固有の領土であると主張し、その返還を求めているのです。