2009-08-26
沖縄返還「密約」訴訟

1972年の沖縄返還を巡る日米交渉の「密約」に関する文書が情報公開請求で不開示とされたのは違法だとして、元毎日新聞記者の西山太吉さん(77)らが、国に不開示決定の取り消しなどを求めた訴訟の口頭弁論が25日、東京地裁であった。(読売新聞)

1972年の沖縄返還を巡る日米交渉の「密約」に関する文書が情報公開請求で不開示とされたのは違法だとして、元毎日新聞記者の西山太吉さん(77)らが、国に不開示決定の取り消しなどを求めた訴訟の口頭弁論が25日、東京地裁であった。

吉野氏「密約文書は自分が署名」

 原告側は、当時の交渉責任者だった吉野文六・元外務省アメリカ局長(91)を証人として申請。杉原則彦裁判長は外務相の承認が得られ次第、吉野氏を証人として採用すると述べ、証人尋問の期日を12月1日に指定した。

 問題の文書は米国ですでに公開されており、吉野元局長はこれまで、読売新聞などのインタビューで「密約」の存在を認めているが、国側は一貫して「密約はない」との姿勢を示している。

沖縄密約
沖縄の返還交渉が大詰めを迎えていた72年、社会党(当時)の横路孝弘衆院議員らが国会で、外務省の機密電文をもとに密約の存在を追及した。電文には、本来米側が負担するはずの沖縄の原状回復補償費400万ドルを日本側が肩代わりする前提のやりとりが記されていた。電文は、外務省の女性事務官から当時毎日新聞記者だった西山太吉氏へ渡されたもので、その後社会党に流れたことがわかり、2人は国家公務員法違反の罪で起訴され、有罪となった。

西山事件
西山事件(にしやまじけん)とは、1971年の沖縄返還協定にからみ、取材上知り得た機密情報を国会議員に漏洩した毎日新聞社政治部の西山太吉記者らが国家公務員法違反で有罪となった事件。別名、沖縄密約事件(おきなわみつやくじけん)、外務省機密漏洩事件(がいむしょうきみつろうえいじけん)。

佐藤栄作政権下、米ニクソン政権との沖縄返還協定に際し、公式発表では米国が支払うことになっていた地権者に対する土地原状回復費400万ドルを、実際には日本政府が肩代わりして米国に支払うという密約をしているとの情報をつかみ、毎日新聞社政治部の西山太吉が社会党議員に漏洩した。
政府は密約を否定し、逆に情報源の外務省女性事務官が国家公務員法(機密漏洩の罪)、西山が国家公務員法(教唆の罪)で逮捕され、さらに検察が起訴状で西山が情報目当てに既婚の事務官に近づき酒を飲ませた上で性交渉を結んだことを明らかにしたため、報道の自由を盾に取材活動の正当性を主張していた毎日新聞はかえって世論から一斉に倫理的非難を浴びることになった。
裁判においても、起訴理由は「国家機密の漏洩行為」であるため、審理は当然にその手段である機密資料の入手方法、つまり二人の不倫関係に終始し、密約の真相究明は検察側からは行われなかった。西山が逮捕され、セックススキャンダルとして社会的に注目される中、密約自体の追求は完全に色褪せてしまった。また取材で得た情報をニュースソースを秘匿しないまま国会議員に流し公開し、情報提供者の逮捕を招いたこともジャーナリズムの上で問題となった。

1971年佐藤栄作政権下、日米間で結ばれた沖縄返還協定に際し、「アメリカが地権者に支払う土地現状復旧費用400万ドル(時価で約12億円)を日本政府がアメリカに秘密裏に支払う[1]」密約が存在するとの情報を、毎日新聞の西山太吉は女性事務官との肉体関係を通じて、口外しないと約束した上で外務省極秘電文のコピーを得た。これは、福田赳夫蔵相とデヴィッド・M・ケネディ米財務長官との会談内容であった。表向きの返還交渉は、愛知揆一外相とウィリアム・P・ロジャーズ米国務長官が行ったが、細かい金のやりとりは、福田とケネディが交渉に当たった。人目を避けるため、福田とケネディは、バージニア州のフェアフィールドパークにある密談の為の施設で交渉した。その結果、日本は米国の施設引き渡し費用および、終戦直後の対日経済援助への謝意として、3000万ドルを支払った。西山が知るところとなった400万ドルは、その一部であった。
1972年、社会党の横路孝弘・楢崎弥之助が西山が提供した外務省極秘電文のコピーを手に国会で追及。この事実は大きな反響を呼び、世論は日本政府を強く批判した。

政府は外務省極秘電文コピーが本物であることを認めた上で密約を否定し、一方で情報源がどこかを内密に突き止めた[3]。佐藤首相は西山と女性事務官の不倫関係を掴むと、「ガーンと一発やってやるか」(3月29日)と一転して強気に出た。西山記者と女性事務官は外務省の機密文書を漏らしたとして、4月4日に国家公務員法(守秘義務)違反の疑いで逮捕、起訴された。
当初、他紙も、西山記者を逮捕した日本政府を言論弾圧として非難し、西山記者を擁護していた。しかし、佐藤首相は「そういうこと(言論の自由)でくるならオレは戦うよ」「料理屋で女性と会っていると言うが、都合悪くないかね」(4月6日)と不倫関係を匂わせ撥ね付け、さらに4月8日には、参議院予算委員会で「国家の秘密はあるのであり、機密保護法制定はぜひ必要だ。この事件の関連でいうのではないが、かねての持論である」と主張した。『週刊新潮』によって不倫関係がスクープされ、さらに検察官佐藤道夫(のちに政治家となった)が書いた起訴状に二人の男女関係を暴露する「ひそかに情を通じ、これを利用して」という言葉が記載されて、状況が一転したといわれる。起訴状が提出された日、毎日新聞は夕刊に「本社見解とおわび」を掲載、以後この問題の追及を一切やめた。
その後は『週刊新潮』が「“機密漏洩事件―美しい日本の美しくない日本人”」という新聞批判の大キャンペーンを張った他、女性誌、テレビのワイドショーなどが、西山記者と女性事務官が双方とも既婚者でありながら、西山は肉体関係を武器に情報を得ていたとして連日批判を展開し、世論は一転して西山記者と女性事務官を非難する論調一色になった。裁判においても、審理は男女関係の問題、機密資料の入手方法の問題に終始した。
公判では女性事務官は、求刑された罪状を全面的に認めた上で、改悛の情を訴え、西山の有罪を目指す姿勢を取った。社会党や市川房枝が、女性事務官に無実を争う援助を申し出、女性事務官が断ったことも、検察側は論告求刑で改悛の表れと主張した。西山側は密約の重大性と報道の自由を主張し、男女関係に踏み込むことは基本的に避けた。逆に、検察は直接の罪状である書類持ち出しについては触れず、女性事務官が西山にそそのかされたことを主張するのに専念した。検察側証人は、密約については「記憶にありません」「守秘義務」を理由に一切答えなかった。西山が女性事務官に対して「君や外務省には絶対に迷惑をかけない」と言いながらそれを反故にしたことや女性事務官に取材としての利用価値が無くなると女性事務官への態度を急変して女性事務官との関係を消滅させたことを女性事務官が証言したことで、西山記者の人間性が問題視された。西山側は、積極的に男女関係は争わなかったが、1973年10月12日の最終弁論で女性事務官とは対等の男女の関係であり、西山が一方的に利用したものではないと西山の高木一弁護人は反論した。しかし、女性事務官やその夫からは「夫がいかにも私のヒモであるかのような表現を繰り返した。夫は激怒した。そして男のメンツにかけても離婚の決意をせざるを得なくなったと週刊誌で批判された。実際は、高木は「ヒモ」やそれに類する発言はなかったのだが、西山側は法廷外での発言を避けたので、女性事務官夫妻の主張のみが大々的に報じられることになった。
一審判決で西山は無罪となり、女性事務官は懲役6ヶ月、執行猶予1年の刑を受けた。女性事務官は無罪を争わなかった以上、有罪判決は避けられないものだったが、このことが女性事務官へのさらなる同情と、西山への反発を生んだ。西山は一審判決後に失職し、その他大手メディアも「密約の有無」という問題から撤退していった。まして、沖縄密約についての政府の責任追及は、完全に蚊帳の外に置かれた。一方、女性事務官夫妻は離婚に追い込まれた。二人は週刊誌で西山への批判を繰り返した。
裁判においては、検察側は国家機関による秘密の決定と保持は行政府の権利及び義務であると前提付けた上で、報道の自由には制約があると主張し、国家公務員法の守秘義務は、非公務員にも適用されると主張した。また、報道の自由が、いかなる取材方法であっても無制限に認められるかが争われたが、前掲の理由により最終的に西山記者に懲役4月執行猶予1年、女性事務官に懲役6月執行猶予1年の有罪が確定]。
最高裁は「当初から秘密文書を入手するための手段として利用する意図で女性の公務員と肉体関係を持ち、同女が右関係のため被告人の依頼を拒み難い心理状態に陥つたことに乗じて秘密文書を持ち出させたなど取材対象者の人格を著しく蹂躪した本件取材行為は、正当な取材活動の範囲を逸脱するものである。」「報道機関といえども、取材に関し他人の権利・自由を不当に侵害することのできる特権を有するものでない。」と判示し、西山の取材活動について違法性と報道の自由が無制限ではないことを認めた。尚、一審判決後、西山は毎日新聞を退社し、郷里で家業を継いだ。

出来得れば報道の自由より『昭和の裏面史』として蓋をされるべき事象だと思う。